※ この物語はフィクションです。
噂は、薬より速く広がる。グループLINE、職場の小声、スタジオ帰りの何気ない一言。ウワサモンスターは、誰かを悪者にする快感ではなく、信じたい不安を餌にしていた。
計量スプーンを手帳に挟んでから、四日後だった。りょうたは、次の道具がキッチンから選ばれると予測した。外れた。次に来たのは、口だった。噂は、計量より軽い。軽いものほど、遠くまで飛ぶ。
掲示板の書き込みを、ふかまっくすが時系列に並べた。投稿者名は全部違う。語尾の癖が、三つだけ共通している。三人ではない。一人が、三人を演じている。演じられる者は、人の声を聞いている。イヤホンは、その証拠でしかない。
りょうたは、疑われた側の気持ちを知っていた。画面の向こうで、誰かが自分の仕事を誤解する。誤解は、訂正より速く走る。速く走るものを止めるには、発信源を止めるしかない。塊を殴ったのは、そのためだ。殴ったあとも、語尾の癖は、どこかに残っている気がした。
噂の塊
路地の排水溝から、緑の塊がせり上がったという。表面に人の顔がいくつも浮かび、口は全部、誰かの声を真似していた。隣の席の囁き。グループチャットの既読。うっかり流れた一言。それが粘液になって、空気を濁す。
「不和にすれば、人は動かなくなる」
塊は、そう言ったように聞こえた。バス停で見知らぬ同士が目を逸らす。商店街で、昨日まで挨拶していた店主同士が言葉を選ぶ。福岡の距離が、急に長くなった。
たえの耳に、アンカレンジャー内部の噂が入る。根拠はない。それでも胸の奥が冷えた。けんたはふかまっくすの図面の遅れを責める口調で言い、ふかまっくすは海へばかり行くけんたの時間を同じ熱で返した。ゆうすけはりょうたの眼鏡の奥を見て、何か隠しているのではないかと、初めて思った。
りょうたは、四人の声が噛み合わない音を聞いた。サンドバッグだけが、公平に揺れている。ストレスゾーンは心を折った。ダイエットレジストは生活を折った。今度は、関係を折っている。系統は同じだ。道具が、人の口に変わっただけだ。
発信源
モニターに、噂の発信源が一つの塊として映った。緑の粘液。顔。煙。匿名の投稿は、実は一本の管から出ていた。
「こいつが原因だ。噂は真実ではない。信じるのは仲間だけだ」
たえが先に踊った。ステップが煙を散らす。けんとふかが波と線で塊を囲い、ゆうすけのキックが核を揺らした。りょうたの拳が、最後に熱を持った。
「信頼のITパワーパンチ」
塊が弾け、路地に雨の匂いだけが残る。空に、四つの虹が並んだ。たえはけんたの肩を叩き、ゆうすけはりょうたの背を見た。疑いは、煙と一緒に薄れた。
現場に残っていたのは、電池でもスプーンでもなく、小さなイヤホンだった。片耳。型番は、市販の無線機用である。誰かが、人の声を集めていた。りょうたはそれを手帳に入れた。道具の系列は、リモコン、計量、集音。日常の三種類だ。犯人は、家庭と職場を知っている。あるいは、両方に属している。
片耳
イヤホンは、無線機用の市販品だった。片耳しかない。片耳は、聞くためだけの道具だ。話す側は、別の口を持っている。ふかまっくすが掲示板を時系列に並べると、投稿者名は全部違う。語尾の癖が、三つだけ共通する。一人が三人を演じている。
演じられる者は、人の声を聞いている。聞いている場所は、遠くない。中央のサーバではなく、路地の排水溝に近い。塊を殴ったのは、発信源を止めるためだ。止めたあとも、語尾の癖は、どこかの書き込みに残っている気がした。気がした、を証拠にはしない。証拠は、片耳だけだ。
たえはけんたの肩を叩き、ゆうすけはりょうたの背を見た。疑いは、煙と一緒に薄れた。薄れた疑いは、消えたわけではない。消さないまま、列を保つ。列を保つことが、この回の結論だった。
四つの虹は、仲直りの合図ではなかった。疑った時間をなかったことにせず、それでも同じ方向を向き直した五人の印だった。
四つの虹の下で、りょうたは手帳に「集音」と書いた。リモコン、計量、集音。日常の三種類だ。次は時間だと、彼は予測した。予測を、声には出さなかった。出すと、相手も聞く。
未解決記録
三つの投稿文に共通した語尾は、誰かの口癖ではなかった。白い点が、人の不安を最も広がりやすい言葉へ並べ替えた跡だった。
